58歳にして初めて骨折。救急搬送、手術と入院を経験しました。元々医療関係のプロジェクトも多くこなしてきた私。昨年からはちょうど救急病院のブランディングのプロジェクトが始まったばかり。骨折を契機に、体を張って実態調査と相成りました。備忘録とともに、色々と思ったことを忖度なしにレポートしたいと思います。
その瞬間は突然に
2023年1月11日。その日は妻のエカ様は義父の病院付き添いで夕方まで不在の予定でした。 私はといえば、正月明けてそろそろ仕事にパワーをかけようかな、と言う矢先。でも今年はまだ「碧」(愛車のオートバイ、BMW R nineT Pureのことです)に乗っていないし、明るくて暖かいうちに少し乗ってこようと思い立ちました。
いつものようにBELSTAFFのライディングウェアに着替え、クロスバイクでバイクの駐輪場に向かいます。そこからはこんな感じで都内を徘徊しました。
- まずは鳥居坂を上ってミッドタウンへ
- EYEVAN LUXEでアイウェアをチラ見
- 同じく、ミッドタウンのユニクロでネックウォーマーを探す
- その後、いつもの「聖地」(中央防波堤コンテナ埠頭)へ
愛車の「碧」とパチリ。
ふとスマホをみると、妻のエカ様がそろそろご帰還の模様。ではぼくも帰ろうか。16時には銀座でアポがあるし。そんな感じでバイクの初乗りを楽しんで、麻布十番に戻り、クロスバイクに乗り換えてオフィスに戻ろうとしていた矢先、その瞬間がやってきました。
ナニワヤの角は赤信号だったので右折してゆっくりと歩道を進みました。道交法的には自転車は車両なので原則車道走行。しかも逆走となるのでぼくはあまりしないのですが、この時はそんな形になりました。思えばこの段階から、魔に落ちていたのかもしれません。
その次の信号は青で歩行者が渡り始めていました。その時、前方の歩行者が連れていたワンコが予想外の動きをしたんですよね。ぼくはわんこと歩行者を避けようとして歩道から車道に降りた、………..
次の瞬間、ぼくは顔から車道に叩きつけられていたのです。
明らかな重傷
地面に叩きつけられる前の様子は今も全く記憶がありません。どんなふうに転んだのか、病院のベッドでもずっと考えていたのですが、全くわからないのです。ただ、愛用のオリバーピープルズのグラスが割れて飛んだのはわかりました。
顔面を強打したのですが、なんとか立ち上がることができました。でもすぐに異変に気付きます。
左手首の位置がおかしい
その瞬間に骨折を確信しました。なぜか左手首を掴んで少し元の位置に戻してみました。不思議なことにこの時はまだ痛みはありませんでした。指は動きました。でも「ジャリジャリ」した嫌な感覚をともなっていました。
骨折を確信していたので、ひとまず必要な連絡を取りました。その前にクロスバイクを側道に引き上げたかったのですが、片手では難しく。通りすがりの若い男性が手伝ってくれました。この方はぼくが救急車を呼ぶまで付いていてくれました。本当に感謝しています。電話は2カ所に。
- 奥様のエカ様にこの状況を伝えること
- 救急車を呼ぶこと
これが事故後すぐにとった行動です。
エカ様にはすぐに連絡がつき、自転車で転倒したこと、おそらく左手首が折れていることを伝え、保健証などを持ってきてくれるように頼みました。程なく彼女は現場に現れました。こういうのは食住近接のライフスタイルならではのメリットですよね。
119番は繋がりましたが、救急車は少し時間がかかるようでした。港区には大きな病院が多いので、直接連絡して救急外来に行く方が早いのではないか。119番で対応してくださった消防庁の方はそう仰いました。そこでぼくは「わかりました」と自ら電話をかけてみることにしました。でもこれは結果的に良い判断ではありませんでした。
受け入れてくれる病院がない
左手首が折れた状態で電話をかけ続けるのはなかなかしんどいことです。しかも、近所の大病院もそうそう易々とは受け入れてくれないのです。救急に応需するには、整形外科の先生がいること、ある程度のスタッフが確保されていること、などの条件が必要です。またコロナ禍という環境もマイナスに機能した側面は否めないでしょう。ぼくとエカ様は手分けして病院に電話したのですが、骨折してから1時間が経過してもまだ病院が決まることはありませんでした。
事故で骨折したので救急で処置してもらいたい。それを伝えて長時間保留された末に断られる、その繰り返しです。その間に左手首はどんどん痛くなる。本当に悲しく、絶望的な気持ちになっていきます。電話して受け入れてもらえなかったのは以下の病院。
- 済生会中央病院
- 国際医療福祉大学三田病院
- 慈恵医大病院
- 厚生中央病院
- 広尾病院
- 北里大学病院
- NTT東日本関東病院
- 虎ノ門病院
ぼくは上記の病院を非難するつもりはなく、平日の午後に骨折してなんとか病院に診てもらおうとしてもなかなか難しいのだ、という事実を共有したいのです。
病院も苦渋の選択であることはわかります。一方で一市民、患者としては「断らない救急」というコンセプトがいかに患者にとって重要かもわかりました。
東京消防庁の救急相談センターにも連絡してみました。
東京消防庁<安全・安心情報><救急アドバイス><救急車の適正利用にご協力を!><救急車の適正利用のお願い!!>
東京消防庁救急相談センター 新型コロナウィルス感染症については、緊急度判断のみ相談に応じることができますが、医療機関案内はできません。新型コロナウィルスのご相談にあっては、 こちらをクリックしてください。(外部サイト:東京都福祉保健局) 病院? 救急車? 迷ったら・・・ 東京消防庁 救急相談センター …
東京都の24時間相談窓口「ひまわり」にも連絡してみました。
相談窓口リンク集|東京都医療機関案内サービス ひまわり
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結果的にいずれのサービスからも「ここの病院が受け入れてくれる」という情報を得ることはできませんでした。
再度救急車を要請
1月の夕方はすでにかなり寒いです。不幸中の幸いか、自宅至近での事故だったのでクロスバイクも自宅に戻し、駐車場に停めてあるクルマの中で暖を取りつつ病院に電話していました。しかし、1時間半が経過した段階で
やはり救急車を呼ぼう
ということになりました。エカ様の正しい判断です。ここで一つ、皆さんに伝えておきたいこと。
事故などの際、やはり迷わず救急車を呼んでください
ということです。要請から到着まで時間がかかったとしても、結果、それが一番いいです。その理由は以下のようなものが挙げられます。
- 救急隊、医療者が適切な判断をしてくれる
- とにかく頼れる人がいることで精神的に安定する
- 応急処置が受けられる
- 救急車から病院を探してもらった方が応需率が高い
4つ目の応需率は正直わかりません。救急隊の方に聞いてみたところ、個人で電話しても救急隊から要請しても変わりませんよ、とのことでした。しかし、実際には違うのではないかと推測します。
実際、ぼくのケースでは救急隊の到着まで約10分、ストレッチャーに固定されて軽く診断を受け、救急隊から病院を探してもらった結果、先に電話して断られた虎ノ門病院が受け入れてくれたのです。救急隊の方はただのタイミングの問題ですよと仰りましたが、違うような気がします。これは直感です。
だから、皆さん、迷わず救急車を呼んでください。
虎ノ門病院のERへ
15時半くらいに骨折したぼくは、17時半頃、虎ノ門病院に救急搬送されました。麻布十番から虎ノ門まではおそらく2.5キロ程度の距離。すぐに到着しました。救急の現場にいきなり放り込まれました。対応してくださったのはまだ若いドクターでした。でも何しろ、病院に来れたことでぼくの精神はかなり安定しました。左手首はめちゃ痛いけれど。
その後、まずはレントゲン撮影の後、左手首の状況がわかります。救急隊の方は「骨折か脱臼かまだわかりません」と仰っていたのですが、ぼくは骨折を確信していました。そして明らかになったのは、左手首の2本の骨、橈骨(とうこつ)と尺骨(しゃっこつ)の両方とも折れていること。しかも橈骨の方は粉砕骨折であること、でした。
若いドクターの言葉が耳に残りました。
海野さん、バッキバキです
あちゃー。
どうやら当直の若いドクターの手に負えないケースということで、整形外科の専門医の方が対応してくれることになった模様でした。そのドクターは今も忙しいようで、この後診療してくださるとのことでした。後から知ったのですが、虎ノ門病院には「外傷センター」という組織があり、交通事故などで負った外傷への対応とその後のリハビリも含めた治療を行っています。
外傷センター:基本情報 – 虎の門病院
欧米では、1960年代に外傷センターが設立され1970年代に制度化されました。本邦においては、1960年代より救命救急センターが設立され制度化が進み、現在290を越える救命救急センターが登録されています。救命救急センター設立当時の目標の一つが、増え続ける交通事故死亡者への対応であったことを考えると、救命救急センターそのものが外傷センターの意味合いを持ったものであったと考えられます。その後、道…
今回のぼくのケースは結構な重傷であり、この外傷センターのドクターが対応することになったのでした。程なく現れたドクターは優しい言葉遣いでありながら、専門医としての自信にあふれた佇まいの方でした。ドクターの話では、
- やはり結構ひどい骨折のケースである
- 手術が必要
- 手術は明後日
- 今日は麻酔して「整復」(骨の位置を可能な限り元に戻す)を行う
- 麻酔は神経ブロック
- その後、今日は帰宅し、明日から入院
ということでした。ロードマップが示されて、少し安心しました。その後、神経ブロックで麻酔し、左手首を思いっきり引っ張って「整復」してもらい、鎮痛剤を処方してもらい、帰宅しました。
神経ブロック麻酔というものを初めて経験しましたが、神経に直接麻酔液を注入するもので少し「ピリピリ」するものの、かなり効くのがわかりました。そんなこんなで、ひとまずは自宅に戻りました。帰り着いたのは深夜0時を少し回った頃でした。(続く)
骨折顛末記❷はこちら。