polyphony

polyphony of my life

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イチローとぼく

      2019/03/24

イチローが現役を引退宣言しました。ぼくと野球は何の関係もないし、野球にも何の興味もないのですが、実は今日記しておくべき大事なことがあると思い、こうしてブログを書いています。ぼくは1989年、平成元年に社会人になりました。翻ってイチローのプロ野球人生は1991年に始まっています。そのイチローは昨日45歳で現役引退を宣言し、たくさんの報道陣を前に今までのイチローとは異なる印象を伴って会見をしました。

ぼくは繰り返しますがプロ野球に何の興味もありません。イチローという野球選手個人にもそれほどの思い入れはありません。しかし、ぼくは昨日のイチローの会見を見ながら落涙していました。ぼくは先述のとおり1989年に社会人になりました。今年でちょうど30年働いていることになります。その30年を振り返り、ぼくの最大かつ最も印象的なクライアントはほかならぬオリックスグループでした。

最初の仕事はオリックス信託銀行でした。1997年の金融ビッグバンとその後の国内金融機関への公的資金の投入。都銀各行の頭取が深く頭を下げて謝罪する中、颯爽と登場したのがオリックス信託銀行のダイレクト預金でした。オリックスグループが旧山一信託銀行を傘下に収めた銀行です。超低金利時代の皮切りに、都銀とは異次元の金利を提示したダイレクト預金の任期は凄まじいものでした。ぼくと博報堂はこの仕事からオリックスとの交友を始めて行きました。

その後、オンライン証券のオリックスオンライン(その後マネックスと統合)、オリックス生命、そして先進的なコンセプトであったと今でも思うPFS(Personal Financial Servece)などの事業をマーケティングプランニングとコミュニケーションプランニングで支援しました。「ほかにはない、アンサーを」というオリックスグループのスローガンもぼくたちの仕事でした。宮内義彦CEOが「アンサーじゃなくてソリューションじゃないの?」と質問されたのに対して、「アンサー」であるべきとぼくたちのチームは答えました。その日のピリピリ感、いまでも覚えています。

オリックス球団を保有する意味合いについても何度も議論を重ねました。一般社会からのオリックスの認知は「オリックス球団」とりわけ「イチロー」によって形成されていました。それ以外のイメージは宮内CEOによるものでした。個別のBtoC事業の認知よりも、球団とイチローの認知が高いことは、コミュニケーション戦略上の大きな課題でもありました。しかしこうした認知を逆手にとって「もうひとつのオリックス」という「球団以外のオリックス」を伝えるためのコミュニケーションフレームを構築できたのは、ぼくたちのチームの一つの功績だったと思っています。

イチローを起用した広告も制作しました。ぼくは撮影の現場には行きませんでした。だからイチローには会っていません。もともと著名人、芸能人にはほとんど興味がないのです。しかし、ぼくにとって最も大きなインプットを授けてくれたこのオリックスというクライアント、そしてその顔であるイチローについて、ぼくが意識しないことは一瞬たりともなかったのもまた事実なのです。

オリックスの仕事を通じて得た知識、思い、ネットワークがあるからこそ、ぼくは小さな会社を経営していられるのです。その意味でこのクライアントには多大なる感謝の念を持っています。そして、何の共通項もないと思われるイチローにも、なぜか共感を覚えるのです。個人としてのイチローは正直あまり好きではありません。その理由は明確ではないのですが、何となくです。友達にはなれない気がします。しかし、ぼくはイチローに何らかのシンパシーを感じます。自負心と裏腹な捻くれた感情。そこにシンパシーを感じるのかも知れません。大組織を離れて一人で戦うという選択をした自分と重ねているのかも知れません。

ぼくの毎日も戦いです。気が休まることはありません。同じとは言いませんが、きっとイチローもそうだったのだろう。そう思うことをお許しください。(笑)ぼくはイチローはあまり好きではありません。でもオリックスというクライアントを通して、イチローとぼくは繋がっているという感覚をぼくは否定できません。だからこそ、昨日イチローの会見を見ながら、ぼくは涙を流したのだと思います。あまり好きじゃないけど他人じゃない感じのあるイチロー選手。現役お疲れ様でした。これからも戦ってください。ぼくも一緒に戦っていますから。

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