実は「倫理」を研究しています
全くのノーチェックでした。そんな自分の不明を恥じております。野良猫教授です。この1月から突然NHKで妙なタイトルの番組が始まりました。題して「ここは今から倫理です。」でした。
ドキッとしました。
なぜならぼくは長年、倫理について調査研究をしてきたから。
現在、「倫理」という言葉はあまり頻度高く登場しない言葉です。「不倫」などは頻繁に登場するのに。
「倫理」の「倫」は「輩(ともがら)」であり、つまり、人の集団、共同体、コミュニティを意味します。そして「理」は「ことわり」つまり約束事、ルール、決まり事という意味です。
「倫理」とは共同体のルール、ということになります。
ルールだから一定の拘束力はあります。しかし、
倫理は法律ではない
ことに注意が必要です。
法は人を裁くためのものですが、倫理は人を律するものです。別の言い方をすれば、法は外的な基準ですが、倫理は内的な規範です。
これ大事。
だから本当は「不倫」などは当事者が悲しんだり後悔したり諦めたりする対象であり、社会的に制裁を加えたりする対象ではないのです。昨今、メディアは無論、他者を攻撃する題材が欲しい人が多いのでしょう。悲しいことです。
閑話休題。
ぼくは2005年から日本人の倫理観について定量的な検証(全国調査、有効サンプル数1200程度)をしてきました。その方法は古今東西の倫理・道徳・徳目などを集めて編集し、「25の倫理コンセプト」にまとめ、そのコンセプトに対する共感を取得するというものです。
15年間の倫理観調査の知見は膨大ですが、以下のようなポイントが面白いと思っています。
- 日本人は概ね倫理的
- 倫理観は必ずしも昔と比べて毀損されているわけではない
- 人は歳をとると倫理的になる傾向がある
- 逆に若年層は倫理的ではない傾向がある
- 倫理観は固定的ではなく、流動性がある
- 東日本大震災のあと、人は倫理的になった
面白いでしょ?ご興味のある方はぜひお問い合わせくださいませ。詳細をご説明いたします。
ここは今から倫理です。
というわけで色々面白い調査を手がけていたぼくですが、この『ここは今から倫理です。』という漫画作品は全く知らなかったのです。
何でも2013年?くらいから、週刊誌で連載されていたとか。週刊誌を読む習慣(洒落ではない)がないので全く知りませんでした。
ここは今から倫理です。[漫画公式サイト/最新情報・試し読み]|集英社グランドジャンプ公式サイト
生きていくために大切なことは、すべて「倫理」の授業に詰まっている。高校の倫理教師・高柳が悩める生徒たちを導く‼
作品についての詳細は、公式サイトをどうぞ。高校教師のミステリアスな主人公、高柳が選択授業で「倫理」を教える。高校生たちは、それぞれの実生活の中で「よく生きること」とは何かを問うようになる、という仕立て。なかなかよくできています。作家さん(雨瀬シオリ)は大変だったと思う。尊敬に値する仕事です。
上述の通り、NHKでもドラマ化されています。
ここは今から倫理です。 – NHK
20代を中心に異例の人気を誇る雨瀬シオリの異色の学園コミック『ここは今から倫理です。』を実写ドラマ化。日々価値観が揺さぶられ続けるこの世界で、新時代のあるべき「倫理」を問う。誰も見たことの無い本気の学園ドラマ。 【原作】雨瀬シオリ『ここは今から倫理です。』 【脚本】高羽彩 【音楽】梅林太郎 【制作統括】尾崎裕和 管原浩 【プロデューサー】倉崎憲 【演出】渡辺哲也 小野見知 大野陽平
ぼくはKindleで購入しました。全5巻と短く読みやすいので、興味のある方はまとめ買いしてもいいかも知れません。
倫理は、学ばなくても将来困ることはほぼ無い学問です。
高柳
はい、また倫理の時間に会いましょう
高柳
それでは、倫理を始めます
高柳
この「倫理を始める」という表現がいいと思いますね。倫理の授業を始めますではなく。二次情報ではなく、一次情報を授ける、という意志を感じます。作家はそこまで考えて描いているのかな。
善も悪もいつだって曖昧です
高柳
こうした真理にいつどうやって触れるのか。それが大事です。世の中に溢れるフィクションは勧善懲悪ばかり。その中から真理を探す目と心が重要。それが漫画であったとしてもいいではないか。そう思います。
教えたい
高柳
倫理がとても大事な事で
それがたとえわかってもうまくなんて生きられない
悪いことはやめなさい
高柳
そんな優しい人がまだ周りにいるうちに
戻れなくなる前に
正しい場所に悪い人が来ることはあっても
高柳
悪い場所に正しい人が来ることはないのですよ
何らかの学問において、教師は生徒よりも知識も経験も上回っているのが普通です。しかし倫理においてはどうでしょう?倫理は哲学の一領域でもあるので、哲学において、という問いでもいいと思います。
思想史として、あるいはある哲学者がこんなことを考えた、という「知識」として哲学や倫理を学ぶことは可能です。しかし、血反吐を吐くほどに考えた、その哲学者の「哲学」や「思想」そのものを生きることは難しい。
しかし真の意味で「哲学」や「倫理」を教える、というのは共に苦しみ、共に悩むことでしか達成できないと思うのです。
その意味でこの漫画の主人公、高柳はそうした形で高校生たちの生の苦しみに寄り添っている。そこが従来の教師モノとは一線を画しているポイントかな、と思います。
心に残る言葉に出会えるかも知れない
この漫画は数多くの哲学者や思想家の言葉が引用されていて、いわば思想史を簡単になぞることもできるように構成されています。記述が多いのは、実存主義や現象主義かなと思います。
でも個人的に最も刺さったのは、ホッファーの言の引用シーンでした。
他者への没頭は、
ホッファー
それが支援であれ、妨害であれ、愛情であれ、憎悪であれ、
つまるところ、
自分から逃げるための手段である
ホッファーは持っていたけれど、あまり読んだことがなかったのですよね。その当時のぼくの心には迫らなかったのです。
それがこの漫画で読んだ、このシーンで「まさにその通りだ」と直観したのです。こんなシーンでした。
自己と他者。
これは永遠の課題の一つ。
いずれも人間の心を捉えるオブジェクトです。
往々にして、社会の規範は「他者への思いやり」や「社会への貢献」を問題にし、それを強要する側面があります。このホッファーの言は、まずは自らへの関心を持て、という強いメッセージを発していると思うのです。
ぼくは実在論者なので、個物として自分や近しい存在を重視する立場です。しかし他者や社会、会社や世間などに関心を払う人が多いことも知っている。その中でバランスを取って生きていくのは結構難しいことです。
そんな時、ホッファーの言葉は助けになるのではと思いますね。
アフォリズム集をポチってしまいました。
漫画と馬鹿にすることなかれ。
何か新しい発見をあなたに授けてくれるかも知れませんよ。
『ここは今から倫理です。』倫理を研究してきた野良猫教授としてもぜひ読んでもらいたい漫画です。全5巻セットはこちら。