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Make Life a Ride / 日常を冒険に変える男子の嗜み

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書を捨てたら久しぶりに旅に出ようか。寺山修司『書を捨てよ、町に出よう』を再読する。

投稿日:2020年9月3日 更新日:

Terayama-Shuji

寺山修司のこと

大昔に読んだ本。でもどんなことが書いてあったのか、ついぞ覚えていなかった。それがふと思い出されて。あの本どんなことが書いてあったっけ、と気になり始めた。そんなときにAmazonのKindleはとても便利だ。

『書を捨てよ、町に出よう』はいいタイトルだと思う。書の中にある膨大な知識が重要であることは論を待たないが、町には人の生活、人の情念、すなわち実存がある。ぼくが勤めていた広告代理店の博報堂も「生活者観察」や「タウンウォッチング」などのキーワードを世の中に提出していた。

1990年代初頭。楽しかったな。スマホもなかったからスケジュール管理も見事に杜撰だった。出先表に「タウンウォッチング」と書けば、クルマの試乗だろうが、八重洲ブックセンターだろうが、どこに行っても問題なかった。「タウンウォッチング」なんて素敵な響き。

その前に寺山修司のことを少し復習しておかねばならない。

寺山修司

「言葉の 錬金術師」「 アングラ演劇 四天王のひとり」「 昭和の 啄木」などの異名をとり、上記の他にもマルチに活動、膨大な量の 文芸作品を発表した。 競馬への造詣も深く、 競走馬の 馬主 になるほどであった。 1935年( 昭和10年) 12月10日、父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。八郎は 東奥義塾弁論部OBで当時弘前警察署勤務。父の転勤のため、県内各所を転々とする。本人は出生について「走っている列車の中で生まれ、ゆえに 故郷はない」などと記していたが、ハツと元妻の 九條今日子は 青森県 弘前市 紺屋町生まれとしており、寺山のこうした記述には多分に創作が混じっているといわれる。 戸籍上は 1936年(昭和11年) 1月10日が出生日となっている。これもハツによれば、「父の仕事が忙しく、産後保養していたため」という。ただし、戸籍の出生が正しいとの説もある。本籍地は青森県 上北郡 六戸村(現 三沢市 )。 1941年(昭和16年)、青森県 八戸市へ転居。八郎出征のため、ハツと三沢市へ疎開。彼女はその後九州で働くために 青森市 の親類に修司を預ける。青森市マリア幼稚園入園。 1945年(昭和20年)、 青森大空襲によりハツとともに焼け出される。9月に八郎が セレベス島で 戦病死したとの公報を受け取る。終戦後はハツの兄を頼り六戸村古間木(現三沢市)の古間木駅前(現 三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学1年秋までを過ごす。ハツは進駐軍の 米軍キャンプ で働き、米軍差し押さえの民家に移る。 1948年(昭和23年)、三沢市立古間木中学校入学。ハツが 福岡県の 米軍ベースキャンプへ移ったため、青森市内の母方の大叔父・坂本勇三の映画館「歌舞伎座」に引き取られる(青森市青柳2丁目1-15、跡地は結婚式場となっていて、寺山の旧居地である旨が書かれている石柱がある)。 青森市立野脇中学校(統合されて廃止、跡地は 青森市文化会館 )に転校。 1949年(昭和24年)、青森市の母方の映画館歌舞伎座を経営していた叔父夫婦宅に引き取られる。中学2年生で 京武久美と友人になる。 句作をしていた京武の影響から 俳句へのめり込んでいく。 文芸部に入り、 俳句や 詩や 童話を 学校新聞 に書き続ける。 1950年(昭和25年)、 青森市営球場で 藤本英雄が達成した 日本プロ野球史上初の 完全試合 を現地で観戦する。 1951年(昭和26年)、 青森県立青森高等学校入学。新聞部、文芸部に所属。「山彦俳句会」を結成し、高校1年生の終わり頃「校内俳句大会」を主催。全国学生俳句会議結成。俳句改革運動を全国に呼びかける。京武と 俳句雑誌『牧羊神』創刊、1954年(昭和29年)の第7号(1,5,6,7号)まで 編集・発行を続ける。同期生に 沢田教一 がいたが、たまに学校をサボって共に映画を鑑賞する程度で、特別親しい間柄ではなかったとされる。高校時代の寺山は坂本が新築した青森市松原の家に下宿し、堤川の堤防を通り青森高校に通学していた。 1954年(昭和29年)、 早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学した。寺山は12歳から13歳頃から短歌を詠み始めたというが、熱を入れて短歌を詠み始めるきっかけとなったのが短歌研究1954年4月号に掲載された、一般からの公募から選ばれ第一回五十首詠で特選となった 中城ふみ子 の「乳房喪失」であった。中城の作品は歌壇で大きな反響を生み、第二回の五十首詠の公募には第一回の約2倍の約800名からの応募があった。中城の短歌は歌壇の主に若手から強い支持を受けたが、寺山もまた中城の短歌に感動し、短歌を詠む意欲を高めた。 寺山は短歌研究の第二回五十首詠に「父還せ」と題して応募した。短歌研究編集長の 中井英夫 …

  • 1935年青森に生まれる
  • 1954年早稲田大学教育学部国語国文学科入学
  • 早稲田大学短歌会で活動
  • 戯曲を書き始め、谷川俊太郎と付き合いが始まる
  • ラジオドラマを書き始める
  • 石原慎太郎、江藤淳、谷川俊太郎、大江健三郎、浅利慶太、永六輔、黛敏郎、福田善之らと若い日本の会を結成し、60年安保に反対
  • 1967年横尾忠則らと劇団「天井桟敷」を結成
  • 同年『書を捨てよ、町へ出よう』刊行
  • 1974年肝硬変で入院
  • 1981年肝硬変で再入院
  • 1983年敗血症で死去、享年47歳

旧き良き早稲田人の趣だ。ぼくと同窓だね。47歳で死んでいるから、ぼくは寺山修司よりもずっと長く生きていることになる。肝硬変で入院していること、また『書を捨てよ、町へ出よう』の記述からも想像できる通り、かなり破天荒でかつ酒を飲む人だったと推察する。そして彼はその著作に書いている通り、「速度」を持って異界に渡ったのだろう。

『書を捨てよ、町へ出よう』から

高名なこのタイトル。でもどんなことが書いてあったかはぜんぜん覚えていなかった。改めて読み始めると、タイトル通りの最初の1章が素晴らしい。少なくともぼくにとっては極めて引き付ける力の強い文章だ。

↓下のサムネイルはAmazonへのリンク。版元の角川文庫ではもう文庫版は絶版の模様。古本で入手するしかない。あるいはぼくのようにKindleで買うか。

筆者のハートがビンビンと伝わってくるような、生々しい言葉。想像しやすいように喩えるならば、忌野清志郎の音楽と類似しているかも知れない。ぼくの心に迫る寺山修司の言葉をピックアップしてみよう。

速くなければいけない
ぼくは速さにあこがれる。ウサギは好きだがカメはきらいだ。(中略)もともと親父たちにとって速度は敵だったのだ。

書を捨てよ、町へ出よう

どうして親父たちが速いものを嫌いなのかといえば、それは親父たちが速度と人生とは、いつでも函数関係にあるのだと思い込んでいるからである。

書を捨てよ、町へ出よう

わが国の文化は「速度」の文化だといってもいいだろう。

書を捨てよ、町へ出よう

レースにおける速度は比喩の世界のものだが、ぼくたちにとって速度は実存なのだということを、あなたにはどうやって説明したらいいのだろう。

書を捨てよ、町へ出よう

背広もアパートも食事も、なべてバランス的に配分したら、ぼくらは忽ち「カメ」の一群に巻き込まれてしまう。そこで、自分の実存の一点を注ぐにたる対象をえらび、そこにだけ集中的に経済力を集中するのである。背広派、美食主義者、スポーツ狂といった若ものをつかまえて、親父たちは不具だというが、こうした経験の拡張は、実は極めて思想的な行為である。

書を捨てよ、町へ出よう

停年までのサラリーの計算をしてしまって、それが森進一の一年分の遊興費に充たないと知ったあとも、なおコツコツと働かねばならぬ無名の戦争犯罪人の親父たちの二の舞をふまないためにも、ぼくたちには日常生活内での「冒険」が必要なのである。

書を捨てよ、町へ出よう

どう感じるだろうか。ぼくには寺山の言霊がすごい熱量とともに伝わってくる。

日常に埋没し「カメ」にならないために

ぼくはもうすぐ56歳になる。寺山修司の享年よりも9歳も年上だ。ぼくは、どうしても耐えられなくて、35歳で会社員を辞めた。そしてなんとかここまで生きて来た。そのぼくを突き動かしてきた衝動と、寺山が『書を捨てよ、町へ出よう』で書いていることに共通項を感じるのを、どうか許して欲しい。

ぼくはカメにならなかっただろうか。

うん、たぶんそうだ。

自分の時間を生きることに成功しているだろうか。

自信はないが、たぶんそうだ。

なぜぼくは速度を愛するのだろうか。

それは一瞬の中に永遠が宿ることを感じているからだと思う。

Make Life a Ride
人生を、旅するように生きる。

BMW Motorradのスローガンであり、このブログメディアのキーメッセージ。同じ精神を寺山修司は書いていた。ぼくはそんなことをすっかり忘れていた。なぜこの数日で寺山修司のことを思い出したのか。そしてAmazonで『書を捨てよ、町へ出よう』を買ったのか。

何かが点と点を結び付けようとしている気がする。まあ妄想かも知れない。でもそれで十分だ。

BMW Motorradのプロモーションヴィデオ。これもまた痺れる。
逆さになった錨のタトゥーを入れた男。曰く。

船も私も留まるために存在しているのではない。

MAKE LIFE A RIDE【CAPTURE篇】

MAKE LIFE A RIDE. 人生が、単調なハイウェイであるはずはない。 その道は、交差点や上り坂、下り坂、 様々な曲がり角によって出来ている。 他の誰でもない、君によって創られた道だ。 http://make-life-a-ride.jp

日常を冒険にするのは想像力だ。何も絶壁から飛び降りたり、ジャングルに分け入ったりする必要はない。ただその想像力を枯れさせてはいけない。放っておいたら、ぼくたちオヤジは寺山が忌み嫌った無名の戦争犯罪人に堕してしまうかも知れないから。

無名の戦争犯罪人とは、嫌なこと、本当はやりたくないこと、理不尽なことに目を瞑り、日常に逃げ込む普通の人の事だと思う。

だからぼくらオヤジは、決して想像力を枯れさせず、日常生活の中に冒険を見出していくべきなのだ。そしてそのためにロードバイクやモーターバイクに乗るべきなのである。

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