自分をコンテンツ化できる人
つい先日、古くからの友人にこんなことを言われた。
君は自分をコンテンツ化できる人間だから
へっ?と思った。自分をそんな風に捉えたことはなかった。もちろん、SNSも好きじゃないけど使っているし、なんだかんだでブログも20年以上続いている。情報発信は目的でも手段でもなかったけれど、それが日常だったことは事実だ。
そういった彼は博報堂の同期だったが、独立し、いまはテレビ番組の制作会社を経営している。ヒット番組作りの実績も多数。そんな彼は番組作りの目線で、ぼくを見て、そのように評価したのだという。
そうか、ぼくは積極的に自分をコンテンツ化すればいいのか、と少しこれからの人生についての展望が開けた気がした。もちろん、展望が開けても開けてなくても、どんどん新しいことにチャレンジするのがぼくの人生なんだけど。
人生をコンテンツ化する、というキーワードを貰って、早速ググってみると結構たくさんの記事がヒットした。多くの記事は、ブロガーやYouTuberによるものか、それらについて分析あるいは解説した記事だった。その中でそのものズバリの本があった。
Amazon Unlimitedで読めるので、DLボタンを押し、先ほどググった記事のリストに目を戻したら、今度はギグワークというキーワードに目が留まった。GIG WORKという本もあった。
こちらもAmazon Unlimitedだから、0円。そしてこちら読み始めたのは直感的に面白そうだったから。タイトルだけで読み始めたので、途中まで著者が誰だか知らずに読んだ。この2冊、同じ人が書いていたのね。
ギグワークってなに?
ギグは音楽用語。ぼくはミュージシャンという一面も持っている(ピアノも弾くし、ギターも弾く、学生時代にはオーケストラや吹奏楽の指揮もしていた)ので、ギグという言葉はすぐに理解できた。要はインプロビゼーション(即興演奏)のように、短い時間にチャチャっとする演奏のことだ。ただギグは演奏の上手い人でないとできないんだけどね。
オーケストラ音楽のような大規模なものよりは、ジャズのセッションのように、プロが数名集まっての演奏がギグのイメージだ。
つまりギグワークというのは、プロがプロジェクト的に集まってする仕事のこと。そしてそうした働き方ができる世の中になってきたし、もしもそういうスキルと才能があるのなら、ギグのように働かないか?というのが著者のメッセージなのだ。
著者は露悪的なレトリックで書いているけど、書いていることはマトモ。いえ、それはぼくからするとマトモなのであって、大半の日本人にとってはかなりメチャクチャ。でもそれをわかって書いている。マトモなことがメチャクチャに感じるということは、そもそも大半の日本人は洗脳されているから、というのが著者の認識で、ぼくもだいたいそれで合っていると思う。
ぼくは大企業に11年余り勤めていたけれど、会社生活も通勤も気が狂っているとしか思えなかった。こんなこといつまでも続けられるか、と思っていた。思い起こせば、その前に就職活動があった。ぼくが就職した当時、世はバブル。そこそこの大学生だったので就職活動はほぼ楽だった。
とある企業(博報堂ではない)に内定を貰い、懇親会という名の拘束(いまはそんなことあるのかな?)のとき、何人かに「これから数十年よろしくな」みたいに声をかけられたことを思い出す。そして、まったくそんな風に思っていない自分にぼくは気が付いたのだ。
いやこれから数十年もここで働く気ないから
ぼくと同じ歳(22-23歳)の人間がそんな風に思い込んでいることが不思議だった。1989年当時、まだまだ人のアタマの中は「終身雇用制」だったのだね。ぼくはそんな思いはゼロだったし、こんな人たちと一緒には過ごせないなと思い、この企業からは退散させてもらった。
思えばこのときから既に、ぼくは組織の歯車みたいな働き方は真っ平御免と思っていたのだろう。言葉にはできていなかったけれど。だから、ぼくの中の何かがそれを拒否したのだと思う。
著者の言葉はぼくの言葉のようだ
このGIG WORKにおける著者の言葉遣い、先ほど書いたとおり、露悪的だし敢えて煽情的だ。でも著者が本当にそう思って書いていることが伝わる。変なテクニカルな文章ではない。嫌いではない。そう思って読んだ。ぼくが考えていることや思っていることを、あえて煽情的に見せられるのは、結構楽しい。
資本家でも労働者でもない存在=ギグワーカー
GIG WORK
いまの世界は資本主義で、基本的に資本家とそれと結託した政治・行政側に入らないと勝ち組になれない、というのが著者の認識で、それはぼくも同じ意見。頑張ってもそこに入れないのが普通だから別の方法を探せ、というのが著者のメッセージ。ピケティの言も引いている。資本の利回りの方が労働の利回りより高いんだからと。
著者が言うには、搾取されない非正規労働者がギグワーカーで、それは資本家でも労働者でもない存在。そしてそれを可能にしたのが、インターネットである。
掃除を製品化したのが掃除機なら、コンテンツ化したのがKONMARIなわけだ。
GIG WORK
世界は製品化からコンテンツ化に動いてる。それを端的に表現しているのがこの言葉。いいね。わかりやすい。
結局は「何を言うかより、誰が言うか」だ。今の時代はコピーが可能だ。コピー&ペーストが簡単だからこそ「何を言うか」というのは重要でなくなってきてしまっている。「誰が言うか」というのは、すなわちコンテクストをつくる重要な構成要素なわけだ。コンテンツの価値を決めるのはコンテクストで、その中の重要な構成要素の一つが「誰」だということ。
GIG WORK
コンテンツが重要な時代に入り、しかしそのコンテンツの価値をを決めるのはコンテクスト。そしてコンテクストの重要な要素は「キャラクター」だという。だから、
コンテクスト=人生
なのだと。なるほどね。
好きなことなんかどうでもいい。
GIG WORK
目標なんか要らない。
好きなことではなく、できること、人のためになることをせよ、というのも著者のメッセージ。これはぼくもそう思う。ドラッカーなどの言も同じ。もうひとつの目標なんか要らない、の方が個人的には面白い。なんでもかんでもゴールを決めて、KPI管理して、なんていうのが流行りだけれど、そうじゃないんだ、と著者は説く。
人生そのものはアウトプットだ。行動だったり、結果だったりが人生だからだ。(中略)アウトプットの源泉はインプットなわけで、そこにすべての自己資源を投入するのは当たり前。(中略)コンテンツもコンテクストもすべてインプット次第だ。
GIG WORK
人生というアウトプット変えるにはインプットを変える必要がある。そのために最も避けなければならないのは時間を人に奪われないことだ、というのはその通りだと思う。自分の時間は何より大切だ。だってぼくらはもうすぐ死んでしまうのだからね。(笑)
アウトプットの目的=人生の目的=選択肢を拡げること
GIG WORK
ありもしない目標を設定するな。それよりも人生においては選択肢が増えていくような経験をしていけ、というのも頷ける指摘だ。
人生のコンテンツ化のプロセス
自分のコンテンツ化、人生のコンテンツ化を図るための情報発信にはテクニックがある。闇雲な発信では、コンテクストもコンテンツも作れない。なるほど。敏腕編集者として鳴らした著者は情報発信には4つのフェーズがあるという。
フロントコンテンツ(情報発信)
↓
ポジション(キャラクター)
↓
ポジショントーク/アクト(コンテクスト)
↓
バックコンテンツ(マネタイズ)
フロントコンテンツはブログとか、SNSとか。
ここで重要なのは何を書くかより、どこに行くか、何を買うか、どんな本を読んだか、どんな映画を観たか、だ。
GIG WORK
ポジション(キャラクター)づくりでは、「〇〇な方法」みたいなノウハウに落とし込むことを推奨している。情報発信の目的が明確になるからだという。ここではキャラクターの肩書なども重要な感じ。ふむふむ。
仮想敵をつくること
GIG WORK
ギブすること
また個人ではなく、何らかの仮想敵(概念)があるとキャラがわかりやすいというのと、コンテンツは基本的に出し惜しみせず、ギブすること、自分を他者のために還元することが大事というのも面白い。炎上を薦めているわけではないが、仮想敵を設定せよ、というノウハウはなるほどな、と思う。
テキストが最強
GIG WORK
現在は映像や写真などで発信することももちろん可能。でも著者はテキストを薦めている。それはインプットを促進することにもなるからだと思う。書くという形でアウトプットするには膨大なインプットが必要。編集者だからそれがわかっていて、簡易な方法で発信するよりもインプットを充実させた方がいいよ、と考えているのだろう。だよね。ぼくもそう思う。だから、このブログでもしっかりとした経験をもとに、書いていこうと思ってる。
著者の言葉の勢いで、すごく短時間に読めて、いまの自分が考えていることに刺激を受け、さらにアタマが整理された本だった。この時代、どうやっても自分も人生も情報化されていく。であれば、その中で少しでも上手にぼくも泳いでいきたいと思う。いい本と出合えた。