都市の快適居住学
都市生活というキーワードに反応する人にぜひ読んでもらいたい一冊が「都市の快適居住学」という本です。著者の宮脇檀(みやわきまゆみ)氏は建築家。この本以外にももちろんたくさんの著作があります。賛否はいろいろあるとは思いますが「農村型居住形態を離れよう」「都市生活を望もう」というのが通底しているメッセージです。
都市の快適住居学 | 宮脇 檀 | 書籍 | PHP研究所
膨大な通勤時間をかけてまで持ち家になぜこだわる? 建築家で渋谷・代官山在住、持ち家は要らない主義の著者が語る大都市在住のすすめ。
実際、日本の都市は寺社や御城を核とした「拡散型」がほとんどだとぼくも思っていました。それに対して、欧州の諸都市は城壁で囲われた都市国家。城壁の中に住む「市民」はそれに誇りを持ち、城壁の外に住む農民や狩猟民と自らを区別していました。都市国家は「市=マルシェ」でこうした城壁の外の民や物品と交流していました。またたとえばパリを例にとると、フランス国鉄の駅は旧市街の城壁に沿って北駅、リヨン駅、ノートルダム駅と点在しており、城壁の外と内を明確に分けていたことが見て取れます。
東京も大きな城下町。皇居を核にダラダラと広がっています。そしてその広がり方はおそらく世界最大ではないでしょうか。だから東京に厳密な都市と農村の境界はありません。世田谷辺りでもまだ都心と思う人もいれば、港区辺りだけが都心と思う人もいるわけです。
ぼくが都心に住む訳
なぜ都心に住むのか。ぼくの場合最大の理由は、通勤に費やす膨大な時間とエネルギーが無駄だと思うから、です。上述書によれば、日本人の通勤時間は平均的に1日3時間で、1日のおよそ12.5%を占めているとされています。働き方改革で単純な労働年数は増えているでしょうから、概ね人生の1割近くを、ぼくたちは通勤に費やしているわけです。改めて考えると実に恐ろしく、また勿体ない事実といえるのではないでしょうか。
丸の内の博報堂に勤めていたぼくは、結婚する以前、下北沢(厳密にいうと井の頭線の「池ノ上」駅のすぐそば)に住んでいました。入り組んだ路地とポップカルチャーと地元食い倒れ。いまでも大好きな街です。でも、下北沢から代々木上原までのわずか2駅のために、いったい何本の満員電車を見送らねばならなかったでしょうか。パンパンに押し込まれた人々を乗せて到着する電車。それを呆然と見送るぼく。いっそのこと、下り電車に乗って湘南にでも行っちまおうか、などと何度思ったことでしょうか。
丸の内まで30分圏の世田谷ですら、そんな有様でした。その後文京区居住を経て1999年から21年をかけて、ぼくは港区麻布十番に職住近接のライフスタイルを築きました。通勤という言葉も時間もぼくの生活には存在しません。移動はクルマか自転車か徒歩。唯一、以前は通勤時に読書できたのですが、その時間を意識的に捻出しなきゃならないことくらい。自宅とオフィスの間を簡単に行き来できるので、忘れ物の心配などもないですし、なんならちょっと寝に帰ることもできる。外食しても歩いて帰ることができるし、体も楽。職住近接生活は本当にいいことだらけです。
ナレッジワーカーよ、都心に住め
もちろん居住コストはそれなりに高いですが、タクシーに乗ることは減るので交通費も相応に削減できるはず。何しろあの狂気とも思える通勤ラッシュの地下鉄ほかの鉄道に乗らなくていいのです。満員電車は感染症などの罹患リスクを高めますし、なにしろ人間の生物的・生理的許容度を越えて、他者と密着したまま何時間も不動でいる、などということは異常です。それを我慢することは何等かの精神的な疾患にさえ繋がり得るとぼくは考えています。翻って都心生活では公共交通機関を使わなくても多くのタスクをこなすことができます。徒歩や自転車での移動は健康増進にも寄与するでしょう。つまり、一定のコストを支払うだけで、多大な時間と健康と快適が手に入り、かつ疾病リスクも軽減できるというわけです。これからの時代は自らの生活の質(QOL)が勝負となると思っています。実際にQOLの高い者こそがマーケティングやコミュニケーションを語ることができるのではないかな、と。
すべてのナレッジワーカーよ、都心に住め。