WHEELS EVERYDAY

私にとって大切なのは私の時間である。コロナとバイクと死生観について。

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コロナについて

久々にこのウェブログを更新してみようと思います。なんとなく間が空いてしまったのですが、書きたいことはたくさん。今年春からはYouTubeでモトブログを始めたこともあり、そちらにエネルギーを取られていたのもまた事実です。そのYouTubeも更新は結構大変。撮影して編集して投稿するだけと言えばそうなのですが、GoProで撮影したデータを一度クラウドにアップロードして、編集するにはそこからダウンロードするわけですが、この編集前の工程に相当な時間がかかるわけです。ま、言い訳はこの辺にしましょうか。

この2年、私たちはとんでもない時間を過ごしてきました。そう、新型コロナウィルスによるパンデミックとそれへの社会的な対応による生活の変化に直面してきたわけです。新型感染症は確かに人類に対する脅威です。マクロ的にはその通り。しかし私は現象主義の立場を取る実存主義者です。つまり、世界は私の脳の中にあり、世界は私のものであり、人生は私のものである、と考える立場です。その立場からすると人生という何年か分からない有限の時間の中で2年間を自分のために十全に使うことができないというのはもはや受け入れることはできないのです。

この考え方、おかしいでしょうか。

日本ではファクターXなのか何なのか理由は定かではありませんが、欧米諸国に比べて(まともな防疫・検疫措置が取られなかったにも関わらず)感染者数も死亡者数も極めて少ないのが事実です。であればウィルスに対する訳のわからない恐怖よりも自分の人生を浪費するリスクの方が遥かに高いと思う私は明らかに少数派のようです。

テレビ的には今は「オミクロン株」が恐怖の的のようです。これが怪獣であり、異星人であり、世界征服を企む秘密結社であり、すべての日本人が恐怖しなければならない対象だと言うのです。

これってアタマおかしくないですかね。

この現象、私に言わせれば、日本人の多くは自分の人生を生きていない、という証のような気がします。

そんなことを考えていたら、同じような意見の人が目につきました。この人、博報堂の後輩。一緒に仕事をしたことはありませんが、忖度ないところが好きですねぇ。

「コロナ死亡の平均年齢は82歳」それでもコロナ対策をすべてに優先させたままでいいのか 「自殺増、出生減」という重い事実

オミクロン株にビビりまくる日本人 …

中川淳一郎という人、職業はライターさんになるのかな。彼の言葉の中に当方が共感できるものが多いので抜粋してみます。

作家の村上春樹氏は『ノルウェイの森』のなかで「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と主人公のワタナベに言わせた。これこそが真理なのだ。「死」を人生最大の恐怖と捉える人にとって、ワタナベのこの発言はなかなか理解できないかもしれないが、死は人生を構成する出来事のひとつとして、誰のもとにも必ず訪れる。

人間は致死率100%

断言するが、これが真実である。一切の異論は許さない。

これ、まさに私の信条。

「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」

本当にそう思う。これが実感できない人がいるのが不思議で仕方ない。日本人の大半はただ死ぬのが怖い。ただ生きてさえいればいい、と考えているとしか思えないのです。

ただ生きることにどんな意味があるのかも考えずに、です。

バイクについて

この「生きてさえいればいい」という価値観は、私が忌み嫌うものです。先日も同じようなことを思ったのです。

私の友人からFacebookのメッセンジャーが届きました。この友人はバイク乗りです。どうやら彼の友人(私は知らない人)がバイクに乗りたいのだが、奥さんが猛反対していて困っている、なんとか助け舟を出せないだろうか、という話でした。細かなアイデアのようなものは話したのですが、基本的にこの問題はコロナに対するヒステリックな恐怖と同じで「ただ死ぬのが怖い」「ただ生きてさえいればいい」というものです。

ここでは、

バイク=コロナ

なのです。

バイクは確かに危険な乗り物です。転んだら死ぬかもしれない。

であるが故に、人に生の尊さを教えてくれる存在でもあるのです。バイクに乗れば、普通の時間が光り輝く一瞬に変わります。それはダラダラと流れ浪費されていく時間とは全く異なり、人に生の喜びをその魂に底に届くくらいに強く教えてくれるのです。

BMWモトラッドのいう、

MAKE LIFE A RIDE

とはこうした瞬間を指すものかもしれません。

バイクは危ないからダメという価値観はこうした「生の質的な充実」から目を背け、ただただ「生きてさえいればいい」というメッセージとして強く感じられます。

これは重ねて言いますが、私が忌み嫌う価値観です。

価値観を変えるのは難しい。しかもこれは単なる価値観ではなく「死生観」なのです。「死生観」とは「存在」についてあるいは「生と死」についての個人的な哲学です。私は自分なりの哲学を持って人生を生きています。しかし多くの人はそれを持っていない。持っていないからこそ、ただ「死を恐れる」という幼稚な態度を取り続けてしまうのだと思うのです。

だから上述の友人の友人が奥さんの理解を得られることはなかなか困難です。しかし、友人の友人には彼の人生があります。その人生の瞬間瞬間を輝かせるためにオートバイに乗りたい、という気持ち。それは心の底から理解できます。彼が取る選択肢は2つしかありません。

一つは、

違う死生観の人の意見を飲んで、オートバイに乗らないこと

もう一つは、

例え許されないとしても、自分の人生のためにオートバイに乗ること

です。

このテーマは私のYouTube「野良猫教授 | BIKE & WORDS」で取り上げて動画を作ってみました。宜しければご覧頂けると嬉しい限りです。

死生観について

死生観。難しい問題です。これが異なる人とは最後には袂を分つことになる可能性が高いです。そのことは十分に理解しておく必要があります。私にわかっていること。それは、

人生を輝かせたいと願う人、生の質を問いたい人と
ただ生きてさえいればいいと考える人は相容れない

ということです。

私の父は数年前に癌で他界しました。発覚したときにはすでにステージⅣでした。私は緩和ケアと共に残された人生を家族と共に平和に暮らすことが幸福だと考えました。しかし、他の家族はそうは考えなかったのです。どうしても死んでほしくない、なんとかして生きながらえさせたい、と願う家族の思い、その態度を私はまったく理解できませんでした。そして私は天涯孤独になりました。

死生観とはそれくらい強固なものです。

自ら希んで学び、考え、選び取らなければ、死生観は確立できないものだと思います。ただ普通に生きているだけでは多くの日本人と同じく「ただ行きてさえいればいい」「とにかく死は怖い」という人になってしまいます。

人生には多くの障壁があり、それこそ「死んでしまう理由」などはそこらじゅうに転がっています。病気だってコロナだけじゃない。

バイクに乗らなくても別の理由で死んでしまうかもしれない。

それなのに、バイクをコロナをただ恐れるなんて、滑稽だと思いませんか?

自分の人生を、限られたこの時間をどのように使うのか。それが自分にとって最大の課題だと思いませんか?

ええ、賛同してくれない人が多いことは知っています。でも今、それを言いたくて仕方がないのです。

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