優れた編集者はどこにいる?
今日はちょっとぼくの本業っぽいことを書いてみます。つまりは企業活動とマーケティングやコミュニケーションのお話。ぼくがよく読んでいるメールマガジンがあります。Lobsterrといいます。ここで登録すれば読めるはず。
Lobsterr Magazine
『Lobsterr Letter』は、 世界中のメディアから「変化の種」となるようなストーリーをキュレートするウィークリーニュースレターです。 コンパクトな文量で、 ロングスパンの視座を。 皮肉や批判よりも、 分析と考察を。 ファストフードのようなニュースではなく、 心と頭の栄養となるようなインサイトを。 …
昔は雑誌が果たしていた役割。海外などを含め、広い範囲から情報を収集し、読者が知らなかった視点を提供すること。残念ながら近年、雑誌はその役割を自ら放棄してしまったように見えます。
現在の雑誌はその内容のほとんどが広告でできています。少し広告業界用語で説明すると、広告主がそのブランド名を掲げて自社の商品やサービスや理念を広告するスタイルの広告は「純広告」と呼びます。
一方で記事の形で自社の商品やサービスや理念を伝えて読者の理解を促す広告は「記事広告」です。「記事広告」には「編集タイアップ」「PR記事」があります。この辺りは別の見解も成立するけれど、ひとまずそういうことにして進めましょう。
雑誌の編集者が力を持っていた時代。それは概ね1990年代くらいまで。その時代、雑誌の編集者は腕の立つ目利きでした。編集者の目線と知識が読者にとっては価値だったのですね。
優れた編集者が減った原因はいろいろあると思うけれど、雑誌をはじめ各メディアが情報の提供よりも販売促進の機能を重視したことが大きいと思います。ぼくは広告代理店ではなく、出版社に就職しようと考えていました。でも時代の趨勢を見て、広告代理店に入社しました。
この背景にも販売促進の機能がメディアにとって重要になっていく、という予測があったのだと思います。本を作るより、マーケティングを勉強した方がいいのでは、という思いが大学生時代のぼくにあったのでしょうね。
その後、雑誌は目に見えて没落。販促支援ツールになった雑誌は先見性を失い、「記事広告」「編集タイアップ」ばかりになりました。読者は知的刺激を失い、広告ばかりの雑誌に幻滅。
買い物カタログとしての役割を求める読者だけが残り、その他の読者は自分が知らない情報を求めて彷徨うことになりました。ぼくもその一人。昔は毎月何冊も雑誌を買っていたけれど、いまはゼロ。dマガジンなどでチラチラ読む程度。
そんなぼくが欠かさず読んでいるメルマガ(メルマガという呼称は適切じゃないかも知れないが、便宜的にそう書いておく)がいくつかあり、そのひとつがこのLobsterrです。
海外のメディアやリテール、ブランドの事情などに通じた編者が日本語で書いてくれています。ソースは外国語だと思いますが、やはり日本語で提供されると便利。読んで詳しく知りたければ、元原稿に当たります。
いま重要な情報はメルマガにあります。というか、昔も今も、重要な情報は優れた編集者のところにあります。優れた編集者がどこにいるか。それが問題。昔は優れた編集者は分かりやすい雑誌にいました。いまはメルマガだったりブログメディアだったり、そうした活動をしていることが多いと思います。だから、読者は(本当にそれを望むなら)自分で探すしかないわけです。
ユーザーとスタッフは地続きに
今日のLobsterrに面白い記述があって、2つ印象に残りました。いずれもぼくがこのブログメディアを立ち上げたこととコンテクストを共有しています。1つ目のトピックはこれ。
企業とユーザーの間に境界線があるのではなく、
ユーザーとスタッフと経営者の間に境界線がある
これ示唆に富んでいると思います。企業はその従業員やスタッフを「中の人」と考えているのが普通。しかし最近の情報環境はそこを揺るがしています。YouTubeやTwitter、FBやTikTokなど、現在の企業は様々なSNSを活用している。結果「中の人」だったはずのコミュニケーション担当者や商品開発担当者がいつのまにかユーザー側になってしまった、なんてことが起こっているのだと思うわけです。
経営者、従業員、消費者という3つの主体がいるとき、その境界線は従業員と消費者の間(ブランドのなかの人とそれ以外)ではなく、経営者と従業員の間(経営者とそれ以外)に引かれるようになってきている。いまや消費者と従業員は一体で地続きの存在だ。経営者がパーパスを掲げリードする対象は、消費者だけでなく従業員も含まれる。
Lobstter Letter Vol.83
これは結構頷ける指摘。例えば最近ぼくはすっかり富士フイルムのカメラのファンになってしまったわけですが、先日予約したX-S10について富士フイルムの開発担当者が直接リテーラーに情報提供したり、YouTubeでエンドユーザー向けに開発の考え方を伝えたりしています。
こうした情報発信は以前からあったと思いますが、COVOD-19の影響でリモート化した情報環境のもと、より一層増加していると思うし、ユーザー(プロスペクト)側もそれを期待しているように見えます。
X-S10はユーザー側の期待も大きい戦略商品だということもあるけれど、作り手都合で作るのではなく、ユーザーの期待に応えた商品を創っていく、というビジネスの在り方にリアリティが生まれて来たんだなと思うのですよね。
所謂、
To C(Cosumer)からWith Cへ
という掛け声が実態になってきたのだなということ。
リテーラー化するインフルエンサー
今日のLobsterrからのポイント2つ目はこれ。リテーラー(Retailer)とは直訳すれば小売業者のこと。これもぼくが予測していた通りの動きです。SNSが普及していく過程で生まれた「影響力のある個人」がインフルエンサー。
当初はタレントなどのもともと知名度のあった人が多かった。だから広告代理店などはインフルエンサーの影響力をメディア的に利用する、という戦略を取っていたわけです。彼らからすると分かりやすい。
でもYouTubeなどの爆発で「影響力のある消費者個人」のインフルエンサーがこれまた爆発的に増加しているのが今。こうなると話はちょっと変わってきます。この新手のインフルエンサーはメディアとしての機能もさることながら、どちらかというとユーザーに近い、新しい「売り子=販売員」の機能を果たしているわけです。
それがLobsterrの記事にある「リテーラー化するインフルエンサー」です。
2010年代初頭にインフルエンサーが登場したとき、雑誌編集者が代替されるのではないかといわれていた。しかし2020年になっても、実際にはそうはなっていない。
Lobstter Letter Vol.83
商品を宣伝し、売上につなげることは、インフルエンサーの最も価値のあるスキルだろう。2019年、ブランドは、SNS投稿や中長期的なコラボレーション、アフィリエイトなどを通じてインフルエンサーに80億ドルを費やしたとされる。インフルエンサーはパーソナルショッパーのような存在にもなっている。
Lobstter Letter Vol.83
つまり、シェアを失うことを心配しているのは編集者ではなく、小売業者なのではないかとこの『VOGUE』の記事は論じる。Instagramで12万人以上のフォロワーをもつタイリン・グエンのスタイルが好きで、彼女のフィードから直接買い物ができれば、わざわざ同じようなものを見つけるために店舗や10ページに及ぶ「新着商品」をスクロールする必要はない。
Lobstter Letter Vol.83
「インフルエンサーは新しいスタイルカタログのようなものです」とグエンは言う。この消費行動のシフトは、人々が企業ページの”顔なしモデル”ではなく、信頼できる個人のおすすめを聞きたがっていることを示唆している。インフルエンサーの個人的な投稿と企業広告の境界線が曖昧になっていくなか、インフルエンサーの本質的なセンスと正直な視点がより問われるようになる。そして、インフルエンサーとブランドの力関係も変化していく。
インフルエンサーがブランドと対等な立場で交渉し、正直に表現できることは、消費者が本当に求めているキュレーションや商品に出会えるようになることを意味するのだろう。ブランドと消費者両方から信頼される次世代のリテーラーは、インフルエンサー文化から生まれてもおかしくない。
Lobstter Letter Vol.83
このビジョンはぼくが想像していたものと同じ。
自分が書いたことを引用するのもなんですが(笑)こんなことを書いていますね。
普通の人が自分の好きなこと、興味のあることを頼りに好きな人とモノに囲まれて生きていく。そんな豊かな生活づくりがこれからの課題になるでしょう。
そしてそんな豊かな生活は取りも直さず、コンテンツ化していきます。これからは生活のコンテンツ化が進んでいくのです。
このpolyphonyというブログメディアは、好きなものごとを探すこと、好きな考え方に出会うことができる場所、にしていきたいと思います。
そう考えるのは、マーケティングの主体が企業から個人へと移ることが確実だということ。そんな世界では、好きな物事を人に薦める人こそがマーケティングの専門家と言える存在になると思うからです。
polyphonyについて
好きな物事を人に薦める人。一定の知識とスタイルと価値観のもと、多くの消費者をリードできるのが新しいインフルエンサーであり、それが新しいマーケターなんだとぼくは思うのですよね。
だから新しいインフルエンサーは影響を与えるだけではなく、実際に売り上げを作っていくことになると思います。その方法は過去のように、
広告に多大な予算をぶち込んで「売れるように祈る」
というものではなく、作り手の商品知識を一定以上備え、ユーザーの使用感を一定以上備え、新しい商品を適切な場所に着地させていく、つまり
作り手と使い手がもっと親密に交流しながら売る
という形になるのだと思っています。さらにこの「リテーラー化するインフルエンサー」が新しいユーザーエージェントとして、商品開発にも関与していくのではないかと思っています。
これらは、昔はぼくが勤めていた博報堂のマーケティングセクションの仕事でした。ぼくは20年前に博報堂のマーケティングセクションを辞めて起業しましたが、そのとき考えていたユーザーエージェントという仕事が、ようやく現実味を帯びてきているのだなぁと感慨深いものがあります。
漸く到来した新しいユーザーエージェントの時代。
嬉しい。
この波をずっと待っていたプロのマーケターとして、ワクワクの日々です。待っているうちに20年が経ってしまいましたが、56歳のオジサマにももちろんできることがたくさんあると思っています。
同年代は無論、多くの人達の生活を人生を日常をより有意義なものにするために、ぼくが好きな物事を紹介していこうと思います。
そして自分を含めたくさんの人たちにとって「日常を冒険に変える」ことができれば嬉しいなと思います。