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ぼくがかつていた「広告という名の狭い世界」について

投稿日:2016年2月8日 更新日:

広告屋さんの勘違い

数日前に投稿されて業界関係者の間で少し話題になったブログがある。(もうブログは削除されてしまった様子)書いた方はおそらく職業コピーライターでその業界団体である東京コピーライターズクラブ(TCC)を批判している。批判されているのは「誰に褒められたいんですか?」という業界内のコピーコンテストのキャッチコピーである。業界内コンテストの告知ポスターで業界の御大が登場し、「俺たちの誰に褒められたいのだ?」という文脈を構成していることが批判されているわけである。思うに当然の批判である。書いた方は広告コピーはそもそも商品等と社会もしくは消費者をつなぐための機能が重要であり、そこをこそ評価されるべきと至極まっとうな感覚でいると思われる。一方でこの業界団体の偉い方々(ぼくは幸いにしてこの爺たちが誰なのかまったく知らないが)はそこのところをすっ飛ばして、自分たちに褒められることこそがコピーライターにとって重要だと考えているわけだ。

ただ売ればいいという悪

ぼくは過去、広告代理店に所属して、マーケティングプランニングという仕事をしていた。楽しい仕事だったが、その根源のところに善悪定かならぬものが含まれているのがどうしても許せず、ぼくはこの仕事を辞めた。いや正確に言えば広告代理店に属してこの仕事をすることを辞めた。言葉を選ばずに言えば、広告代理店でのぼくの仕事は汚い仕事だった。資本主義のもっと言えば強欲資本主義の、しかもその上澄みを掬っていくのが広告の仕事である。そこには善悪の概念は存在しない。売れれば何でもいい。それが広告の基本精神である。

無邪気に広告業界にいられる人は幸せだ。なぜならぼくは広告の仕事を通じてとても辛い思いをしたことがあるから。こんな体験をしたら、誰でも広告の仕事なんかしたくなくなると思う。

最近はよく大手広告代理店のことを「売国○○」などと批判している人がいるようだが、この批判は当たらない。なぜならば広告代理店は本性的に政治的でないからだ。オリンピックなどの高度に政治的なイシューですら、広告代理店は純粋に経済的な理由だけで取り扱う存在である。そこには愛国も売国も介在しないのだ。だからこそ悪なのである。

Social good?

ぼくは企業活動すら抑制的であるべき、倫理的であるべき、共生的であるべきと考える立場なので、このような広告の在り方を受け入れることはできなかった。昨今の広告業界を構成する人々は“Socical Good”という言葉を使うようだが、これは自らの中のGoodではないものへの自覚の始まりである。さて近年は広告業界内で広告賞の説明力が増している。業界内でよいとされる広告、効果的だったとされる広告を称揚し、その制作者にお墨付きを与えるのが広告賞である。ぼくが広告代理店にいた頃、カンヌ映画祭に伴う広告賞に赴く人はごくわずかだったが、いまでは大手広告代理店から大挙して人々が押し寄せている。この広告賞は所詮身内の催事、コップの中の褒め合いである。このくだらなさとTCCの「誰に褒められたいんですか?」のくだらなさは本質的に同じである。そしてこれがくだらないと思うという点で、ブログを書いた人とぼくは考えを同じくしている。

広告なんてやめちゃいなよ

ぼくは最初から「世の中がもっとピースで楽しくそして豊かになる」ために機能するのがマーケティングだと考えてきた。そうしたことを進めるチームの中に広告クリエイターがいるべきだ、と考えてきた。でも実態は違う。広告クリエイターは「世の中が少しでも良くなれば」と少しくらいは思っているかも知れないが、「賞を獲りたい」「広告クリエイターとして有名になりたい」「業界内でポジションを上げたい」という動機の方がずっと大きいのだ。ぼくは先述のようなマーケティングを進めたい人間なので、こうした広告クリエイターが基本的に嫌いだ。本来機能しなくてはならないことではなく、「広告という狭い市場の中での評価」を第一に考える人たちが嫌いだ。素晴らしいデザインや機能を有した優れた商品の市場でのポジショニングよりも、いま自分が創ろうとしている広告が広告表現市場の中でどうポジショニングされるかに興味がある人が嫌いだ。だからこのブログを書いた人は好きだ。機会があれば仕事したいくらいだ。

コピーライターの中でぼくが一目置くのは糸井重里だ。言うまでもなく彼はコピーライター界の巨人であるが、その発する言葉を見ればすぐにわかる。彼は広告という狭い世界に住んでいないということが。ぼくはこういう人が「広告表現を考えることもやる」というのが本当は一番いいのだと思う。

糸井重里さんに聞いた”広告の世界から抜けだす方法” | AdverTimes(アドタイ) by 宣伝会議

長谷川:日々仕事をしていると、広告をつくることばかりに意識が行って視野が狭くなってしまうことがあるのですが、どうしたらそういう考え方から抜け出せるでしょうか? 糸井:きっと、周りに広告の賞を獲っている人がたくさんいるんでしょう。でも、賞のことよりも、 近所のお店の女の子をナンパするためにどうしたらいいかを一生懸命考えていたほうがよっぽどコピーの勉強になる と思いますよ。 …

気の毒だがこの対談で若いコピーライターは既に見切られている。彼はぼくのいうところの「広告という狭い世界でノシていきたい人」であり、残念な人である。この人に対して糸井重里はこのように発言しているので引用してみる。広告の世界なんて狭い。もっと広い世界で仕事しようよ。

狭い世界でやっていることが、通じない人がいるということ。広告やコピーなんて何の関係もない場所のほうが、圧倒的に面積が広い。そして人間はそこにいるんですよ。(糸井重里)

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